凱歌のロッテ 歌集

創作ファンタジー「凱歌のロッテ」短編小説を公開中

【解説】ユノン先生、赴任する

 

・東世(とうぜ)とは

東の青の国、南の朱の国、西の白の国、北の黒の国で構成される広大な大陸世界であり、物語の舞台。歴史的な名残から四つの国に分かれてはいるものの、今は統治者もなく、国家としては成り立っていない。

寺院と学院が要の機関として機能しており、個人の手に負えない困りごとがある際はどちらかを頼る。海はあるが太陽と月がなく、昼と夜は神によって分けられる。

東世では、魂を持つものは必ず魔法を使うことができるとされている。目に見える神の存在があるため、独自の宗教観と文化を育んできた。白の国の最西部は桃源山脈と呼ばれ、険しい山々が連なっているが、それが彼らにとっての異世界と東世を隔てる壁の役割をしている。



・珠珠の子(じゅじゅのこ)/ 単純に珠珠とも呼ぶ。東世では婚姻関係にあるカップルのことを伴伴(はんはん)と呼ぶが、様々な事情から子供に恵まれない伴伴は、まず寺院へ相談に行く。

この際、寺院で人々のために働く僧尽(そうじん)が神々と彼らのパイプの役割を果たす。「おまえたちの子どもは◯◯区の◯◯にいるだろう」といった神からの預言を賜ると、僧尽は書をしたため、伴伴へ授ける。その後は彼らが自ら子どもを探しに行く必要があるが、時折り知狎(ちこう)の書から飛び出す鹿の幻が、彼らを必ず導いてくれる。子どもが無事に伴伴の家にたどり着くのを見届けると、以降鹿の幻は出現しなくなる。


神によって選ばれるため、珠珠の子は必ず孤児とは限らない。もし知狎書を持った伴伴に自身の子の受け渡しを要求されれば、それは神の意志であるため逆らうことはできず、もし頑なに拒めば罪に問われる。一方で、珠珠の子の制度があるために「子を置き去りにしても死にはしない」と考え、わざと子どもを放置する親も少なからず存在するため、学院と寺院が連携して対策を考えている最中である。

・知狎(ちこう)/ 東世の神々の総称であり、種族名でもある。上半身は人のようだが、下半身は鹿。そのため東世では鹿を神格化することがある。毛並みの色と髪の色が同じで、体の大きさや風貌、話し方や態度など、人間と同じように個体差があるが、彼らの意思は必ず一致する。普段は知狎苑(ちこうえん)におり、僧尽の中から神僧(しんそう)という職につく人間を自ら選んで伝令役のように使う。知狎苑は各国に一箇所ずつ、東世に四つ存在し、いずれも人々の喧騒とはかけ離れた山合いにある。東世は国家ではないため首都のようなものが存在しないが、最も神聖な場所としては黒の国の知狎苑・北苑(ほくえん)を挙げることができる。人々は北苑の知狎が中心核なのだろうと考えているが、実際は神のことなのでよくわからない。北苑を要する黒の国・玄武の都は「主都」と呼ばれ、多くの人が集まる。中心となる知狎苑が二千年ごとに変わるため、それに伴って主都も変わる。ちなみに青の国の知狎苑は東苑(とうえん)であるが、理天学院が辺鄙なところに存在するため、学院からそう遠くない場所にある。

・藤京区(とうけいく)/ 青の国の東部。東世の東の果ての地でもある。地形的に孤立しているためやや独特な雰囲気の文化圏。青の国において、他国では青龍の都の次に有名な土地である。そのため地理的な問題をものともせず、藤京には都会的な街々が築かれた。古来から藤京の東には死者の国に通じる道があるとされている。

・理天区(りてんく)/ 青の国の西部。山や谷が多い地形で、稲作がおこなわれていない。青の国は都会的な街が多いのだが、ここだけはとんでもない田舎のまま、新たな畑以外は何も開発されていない。他国の人が青の国に牧歌的な田舎のイメージを抱く元凶だと他の街の人々が笑い話にするほどであるが、理想郷と呼ばれ愛される土地でもある。物語の要である理天学院は理天の西。

・夏学生(かがくせい)春学生(しゅんがくせい)/ 基本的には五歳から六歳は春学程を、七歳から十五歳は夏学程を学ぶことになっているが、生まれた月や個人の能力、希望によってはその限りではない。春学生は長時間着席する練習程度のことしかしないが、夏学生は勉学だけでなく、生活に必要なことを幅広く学ぶ。年度始めという言葉はないが、一月始まりである。

・誕生日 / 個人一人一人を尊重すべきという考えから、誕生日もアイデンティティの一部として大切にされている。ただ、年を重ねるのは誕生月の一日目と決まっている。同時に年を重ねるという連帯感からか、わけもなく同じ誕生月の人に仲間意識や親近感を感じることが多々ある。「なんとなくO型の人が好き」という感覚に近い。

・暦 / 一年は第一月から第十二月まで。「第」は省かれることが多い。ただし、その月が何日まであるかは毎年定まっておらず、知狎が作ったカレンダーのようなもので逐一確認しなければならない。

・寺院ではなく学院に住まうことはロッカが自ら決めた / この作中では描かれていないが、東世では年下の者に決定をさせるという風習がある。判断力のない子どもといえど、必ず本人の意思を確認し、大人はなるべくそれを尊重するよう努めるのが一般的。

・歌い踊る / 作中、青の国では歌い踊り、白の国では歌うのが好まれる、とあるが、黒の国では舞いが好まれ、歌はあまり好まれない。どの国でも踊りにはあまりルールがないが、舞いは、神への詩など、既存のストーリーに合わせて自分なりの振り付けをしたもの。朱の国の人は「力の限りおこなうから、歌うか踊るかどちらか一方しかできない」と言う。

・魂 / 魂があるものは魔法が使えるが、魂が弱ると魔力も弱り、魔法がまったく使えなくなってしまうこともある。人々にとってそれはとてつもなく哀れなことなので、誰の魂も健やかであるよう、互いに傷つけ合うことなく、どんな人の感情や意思も可能な限り尊重しなければならないという哲学が浸透している。

・化粧師 / 化粧をする人。魔法を使って髪や肌の色を変えたりもする。ちなみに流行の発信地的な朱の国・朱雀の都では、現在ピンクとオレンジの肌がトレンド。整形外科医のような施術ができる者もいる。魔力を持たないまじないの意味での化粧も大切にされており、晴れの舞台や重要な記念日などには化粧を施してもらう。化粧師は仕事道具の入った大きな「九彩箱(きゅうさいばこ)」を持っていて、小さい子どもの憧れの的となりやすい。この後書く機会がなさそうなのでここに書いてしまうが、アサンには朝食作りという大変な労働の対価として、学院から高価な九彩箱が贈られた。学院は寺院と違い仕事や生活と勉強の境界が曖昧だが、学びの範疇を超えた献身には必ず対価を与える。田舎育ちで高価な買い物の経験がないアサンは現物支給を望んだが、本人の希望次第では賃金を受け取ることも可能。幼いロッカでも約束通りの働きをすればお小遣いをもらえる。※九彩箱は、数え切れないほどたくさんの色が詰まっているためそう呼ばれる。四の倍数である八はもともと「たくさん」という意味があるが、それよりさらに多い九の字で多彩さを表現している。

白虎大学(びゃっこだいがく)/ 東世にある四つの大学の中で最も卒業が難しいとされる難関大学。そのため他国から入学を希望する学生が多く、互いの知識や情報交換には最適の場。いわゆる教授、助教授のことは「老師」と呼ぶ。大学の教壇に立つことを目指して老師のもとで学ぶ助手などは「先生」と呼ばれ、区別される。

龍大学(せいりゅうだいがく)/ 老師にも学生にも青の国出身者が多く、地元志向が強い。

博秋(はくしゅう)/ 大学を優秀な成績で修めた者に与えられる号。特に何かの資格にはならない。

若秋(じゃくしゅう)/ 通常、夏学程を十五歳で修めるため、十五歳〜十九歳の若者を指す。二十歳からは栄秋(えいしゅう)と呼ばれ大人の扱いを受けるが、若秋は子どもという印象が強い。たとえ外へ働きに出ても、身体も思考力も未熟な存在として見守らなければならない。二十歳から大人扱いすることについて、理にかなった根拠はない。おそらく「四の倍数はきりが良い」と思われているため。

瑕僧(かそう)/ 東世で罪を犯した者は、罪の重さによって知狎から裁かれる。彼らから魂に傷をつけられると魔力を失う。魔法が使えなくなった罪人は瑕僧として、神や人々のために寺院で様々な仕事をしながら罪を償う。しかし、単純に魔法が使えないと生活が不便であり、また魂に傷などついていたら必ず心身の健康を損ねるため、寺院に住まわせるのは彼らを保護する意味合いも強い。神から罪が許されると魔力がわずかに回復し「薄僧(はくそう)」となる。薄僧になれば寺院から出ることを許されるが、人並みの魔力を取り戻せず、そのまま寺院に住み込みで働き続ける者が多い。

・玄武体術大会(げんぶたいじゅつたいかい)/ 大そうな響きだが、年齢制限さえクリアすれば、ラジオ体操くらいの気軽さで誰でも参加できる大会。青の国で言えば、まず区内で予選がおこなわれ四人ほどが選出され、青龍で開かれる本戦で各区の代表が勝負し青武王を決める。ただし、一年のうち四月かけて毎月各国で武王を決めるため、他国の武王、元武王が本戦に参加する場合がある。大会ルール規定では、舌の上に炎を乗せ、先に炎を消した方が勝ちとなる。物理的に消すことも可能だが、この炎は魂と連動するため、強い恐怖や敗北感を感じると自然と消えてしまう。大会が開催される国の順番はランダム。

・呪号(じゅごう)/ 呪文に分類されるが、かけ声に近い。青の国では農作業や網漁の際に大きな魔法を使うことが多かったため、呪号も大きな声で叫びやすいものへ変化していった。白の国の「ニエ」という呪号は、漢字をあてると「魄沈」となる。大きな声で発音しづらいため、玄武体術などには向かないとされる一方「集中しやすくて合理的」とも言われており「普段は自国の呪号だが、繊細な魔法を使うときはニエを使う」というニエユーザーも存在する。

・アヤ、アヤヤーなど / 感嘆詞。日本語と中国語で言う「あなや」「アイヤー」両方のニュアンスで使える。

・冬児(とうじ)/ 一歳未満の赤ん坊。東世にはゼロの概念がないため、零歳という言葉はない。始まりの季節が冬であるため、新生児を冬児と呼ぶ。

・サン先生 / 学院は保育所としても機能しており、さらにサン先生は産婦人科医のような役割もこなす。分娩はもちろんだが、産褥期の母親のメンテナンスや妊婦のメンタルケアにとどまらず、赤ん坊の健康診断や、母子・父子それぞれの育児に関する相談も学院の管轄となっている。そのためサン先生は理天区で広く顔が知られている。

・ちらほらと昇りだした星 / 月も太陽もない世界なので、星も天体ではない。星売りと呼ばれる職業の人が夜になると揚げている。星売りは新聞社、広告会社、図書館、博物館などとして機能しており、業務内容は幅広い。流れ星は個人が勝手に流すことができるため星売りを通さないが、内職で作った流れ星は星売りに買ってもらい、星売りがまたそれを売る。

・ムウ / 感嘆詞。学院では使用頻度が非常に高い。「よきかな」に近いニュアンスで、美味しいものを食べた時と人を褒めるときによく使う。挨拶の言葉「ムウムウ」が起源である。

・四百回八百回 / 「たくさん」を意味する時は特に四の倍数を使いたがる。

・西世(せいぜ)/ サイゼではない。東世にとっては異世界だが、そうは言っても地理的に遠すぎるわけでもなく、ずいぶんと昔から交流があるらしい。少なくとも、東世の各大学には、西世をはじめとした異世界の人と話をすることができる道具がある。東世と最も異なるのは知狎に当たる存在がまったくべつの種族であること。東世の人々の魂は知狎が司るが、西世の人々の魂はそのべつの神々に管理されている。魂の所属は永遠に変わることがなく、それゆえに互いに交わることのない「異世界」という考えになった。ちなみに西世の言葉で東世を指すときは「アルカディア」と呼ぶ。西世は「ユートピア」だという。東世からは遠いが、西世と陸続きの異世界「北世(ほくぜ)」と「南世(なんぜ)」もある。

・朋人(ゆうじん)/ お友達、知り合い、友達の友達、きょうだいの友達、友達の両親、両親の知り合い、と、知らない人でなければどんな人にでも使える言葉。「仲の良い朋人」と言うことはあるが「友達」に限定するような言葉はない。

・天上武王(てんじょうぶおう)/ すべての国で武王になるには、まず自国で武王になる必要がある。そうすれば翌年以降は何度でも他国での本戦に参加できるので、四つの国を順に巡り、そのすべてで優勝すれば晴れて天上武王である。

・ジュゼ / 寺院に所属する僧尽。近年、ジュゼが玄武体術大会に参加する年は勝てないから出ない、と弱気なことを言う者が増えている。

・甜甜華(ケーキ)/ 西世から伝わった「ケーキ」が東世でアレンジされたもの。食べ物は西世がルーツのものが多いので、漢字はほぼ当て字。誕生日をお祝いするケーキは、蒸しパンに甘くて柔らかいチーズ(鮮乳酪と書く)を塗って、果物で色鮮やかに飾り付けたものが主流。(今後食べ物については、わかりやすくカタカナで「スープ」とか「カレー」とか書くことが多いと思います)

・じゃあ寮館を使わせてもらいなさい / 子どもの意思を尊重する傾向の強い社会であるため、学校に行きたくないとごねる子にも柔軟に対応している。遠足気分で学院の寮で過ごし、満足したら家に帰るような子もいるし、朝どうしても早く起きられないからと夜になると家から学院に帰ってくる子もいて十人十色。子どもの性質や申し出によって対応は様々だが、まったく外に出られない子どもの場合は逆に先生が家に出張してくる。

・朱の国風ファッション / 人目を惹く鮮やかな色使いや大きな刺繍が特徴的だが、最も他と違うのは頭部を大きく飾り付ける文化。長い髪の毛をアレンジすることもあれば、帽子やヘッドドレスのような装飾品で美しく見せることもある、近年、他の国ではあまり帽子をかぶる習慣がなく、帽子をかぶるだけで「朱の国風だね」と言われる。

・星読み(ほしよみ)/ 新聞を読む感覚で「星を読む」と言う。満点の星空は東世のSNS的ツールで、それゆえ夜はだいたい天気が良い。星一つ一つが情報記事であり、人並みの魔力があれば自分の探している情報を瞬時に見つけて読むことができる。「詳しくはウェブで」のように「詳細は本日の南の空をご覧ください」と言う広告も存在する。魔力を使って読むため、視力は関係ない。星は毎日人が揚げているので、もちろん北極星や星座のようなものはない。星を使って何か公開したい人は星売りに相談する。

・ムウムウ / 元は、西世でも他の異世界でも通じる挨拶。発音すると口がキス(東世では歓吻と書く)の形になるため、親愛の意を表せることから世界共通の挨拶になった。そんなバックグラウンドから、人懐こい東世の人の間では爆発的にこれが流行り、今でも親しい人への挨拶、ちょっとしたお祝い、賞賛など、様々な場面で使われている。「ムウムウ」と言いながら両頬をこねくり回すのは、家族などごく親しい関係ではスタンダード。手で頬をそっと包むこともあれば、両手を広げるだけにとどめることもある。

・おせっちん!/ 他人を罵る言葉を使うと魂が痩せる、という言い伝えが根強く信じられおり、酷い悪態の言葉を使いたいときは代わりにこう言う。おせっちん(お雪隠)はトイレ。特に悪い言葉ではないのでセーフとされる。作中ではトイレは「厠」とし、お雪隠は誰も使わないような古い言い方となっている。まれに、自分の魂を犠牲にする覚悟がある、と表明するためにわざと酷い言葉を使うことがある。

・冬児は親を選べない / 赤ん坊は一人で何もできず、不自由なことが多いのを哀れんでいる。冬は最も辛い季節で、小さくて弱い存在である子どもは冬に例える。春と夏を経て、実りの季節である秋を迎える。「栄秋」は一人前の大人を指す言葉。ここへ来てやっと自分が思い描く自由で豊かな人生を始められるのだ。